【東日本大震災支援委員会 報告3】現地調査報告③

東日本大震災支援委員会 現地調査報告③ (2011年3月28日~30日)

若林体育館での避難生活について、もう少し報告を続けたい。前述の通り、避難所生活は始まったばかりで、表面的には明るくふるまっている人たちにも次第に疲れが出てくる頃だけに、これから、より被災者の方々に寄り添った支援が必要になってくるだろう。
若林区の災害対策本部からのお知らせ(3月28日付)によると、同区内の避難者は最大で約2万人、28日現在約2200人。指定避難所は当初19か所開設されていたが、同14か所になっている。とくに津波の被害で家を失った人たちの長期の避難生活は避けられない状況で、対策本部では将来的に「避難所の集約化を行います」との方針を伝えている。こうした方針の下、各所に避難していた人たちが学校や市民センター、コミュニティーセンターなどの公共施設に移動することを勧めている。若林体育館への移動もこの一環だ。

この避難所は単純計算すると、平均で一人当たり4平方㍍のスペースがあり、比較的ゆったりと寝起きできるが、避難生活の長期化で気を付けなくてはならないことも多い。上水道と下水道が復旧して、トイレが使えることは非常にありがたく、出来るだけ水分補給をすることがまず、大事だ。水分補給不足や体を動かすことが少なくなることによるいわゆる「エコノミー症候群」を引き起こさないことだ。2004年の新潟県中越地震では、この症状で地震では生存できたのに、その後に亡くなった方が続出し、40人以上の方が「震災関連死」とされている。今回の大震災でも、すでにこうした関連死が起きており、十分な見守りが必要だ。そのためには、1日何回か体操したり、散歩したりして体を動かすことが必要。避難所で運営に当たっている人たちは、このことを忘れないでほしい。

次に、大切なことは「心のケア」だ。被災後しばらくは緊張感もあって、気が張っており、心に変調が見られることは少ないが、1か月もすると、様々な症状が現れる。「イライラしやすくなる」「どうして自分がこんな目に遭わなくてはならないかとの怒りがこみ上げてくる」「自分がとても無力に感じる」「何に対しても無関心・無感動で、心が動かない感じがする」などの症状だ。しかし、これは災害など大きな出来事の後には誰にでも起こりうる変化で、本人は深刻に悩まなくてもよい。ただ、心の中にしまってしまうことは良くなく、誰かに聞いてもらうことが肝要という。
とくに、子どもの場合は、「よく泣く」「赤ちゃんがえり(おもらし、指しゃぶりなど)する」「反抗的・攻撃的になる」「親の気を引くふるまいをする」など、災害前と際だった行動を起こしやすい。これも誰にでも起こりうる症状で、ゆっくりと時間をかければ、回復していくもの。睡眠と休息が一番大事で、食事と水分、リラックス、話をするなどの過程を経て、徐々になくなっていく。しかし、こうした状態が長期にわたるようであれば、専門医の治療を受けることが必要だ。

今後の生活再建の第一歩は、避難所を出て生活することだが、その一つが仮設住宅の建設だ。宮城県では応急仮設住宅を2万戸建設する予定だが、その建設地については、被災した人たちの要望を十分に聞き、従来のコミュニティーを壊さないようにすることが重要だ。建設を急ぐあまり、生まれ育った所から遠い、集団建設にすることの内容に留意すべきだ。超法規的だが、例えば、無くなった自宅の敷地やその近くなど、弾力的に考えていくことが必要。市営住宅や民間住宅の借り上げなども進めなくてはいけない。また、出来れば、仮設住宅内に商店なども入り、元あった街に近いような「仮設市街地」の建設も試みてはどうだろう。大切なのは、被災した方々が、なるべく被災前の生活を送る環境を整えることだ。
(社会貢献学会広報委員長・安富信)