去る7月3日、学会員も多数所属する神戸学院大学において東日本大震災災害ボランティア報告会が開催されました。本学会の安富信広報委員長が出席し、報告会の様子をレポートにまとめました。以下、安富広報委員長からのレポートです。
「東日本大震災 災害ボランティア報告会-つなげよう、東北の明日へ-」
7月3日、神戸市西区の神戸学院大学有瀬キャンパスで「東日本大震災 災害ボランティア報告会-つなげよう、東北の明日へ-」が開かれた。現地で被災しながらボランティア活動に尽力している学生、現地に足を運んで被災地の「実際」にふれた大学・高校生、被災地には行けないが、募金や手紙、写真修復プロジェクトで被災した人たちとつながる学生たち。それぞれの立場で、学生らしい瑞々しい感性で、語り合った。
まず、東北福祉大産業福祉マネジメント学部3年松原啓介さんと同大総合福祉学部2年小野寺萌さん、それにコーディネーター役の神戸学院大防災・社会貢献ユニット4年馬場優太さんの3人による鼎談(ていだん)。小野寺さんは宮城県気仙沼市出身。地震の前の日から実家に帰省していて発生直後は、祖母と2人で津波から逃げた。しかし、海岸沿いにある石油コンビナートのタンクが爆発し、重油が流失。「海そのものが燃えていた。火の粉が雨のように降ってくる中を1日中逃げ回りました」と小野寺さんは振り返る。
そんな体験をした小野寺さんは仙台に戻り、4月初めごろからボランティア活動を始めた。宮城県名取市の避難所になった小学校での活動、仙台市の児童館で汚れた椅子やおもちゃを洗う活動などをした。小野寺さんは「今まで学んだ防災・減災の意味が実際に被災して分からなくなっていましたが、災害ボランティアの案内が来て、参加しました」と言う。その時の経験で感じたことは、「学生が避難所に入れば、避難所自体が明るくなる」ということ。そして、今考えていることは、①支援する側と支援される側という関係はそろそろ変えて行かなければ行けない時期にきている②10年先、20年先を見据えて活動する人材――の2点を挙げ、「今後も多くの学生たちに被災地に行ってほしい。そして、長期的に(被災者と)つながっていてほしい。将来の仕事に、この体験を生かしたい」と話した。
松原さんは、あの日、午前中、サークル活動で学内にいたが、午後はアパートに帰っていて、激しい揺れを体験した。福島県いわき市出身で、仙台に来て宮城県沖地震に興味を持ち、神戸学院(神戸市)、工学院(東京都新宿区)、東北福祉大(仙台)による3大学連携事業(TKK)の授業を受け、地元の消防団に入った松原さん。地震発生の日の午後から、町内の巡回、広報、危険か所の点検、生存者の救助活動などに当たった。
最も辛い思いをしたのが、地震3日後の3月13日。田んぼの中から男性の遺体を発見した。「結局、生存者を発見出来なかった。理想と現実のギャップを思い知らされました」と言う松原さんは、遺留品をたくさん、丁寧に取り出し、家族に届けることに力を注いだ。しかし、「(こうした緊張した現場に)学生が来ていていいのか?」という疑問を持った反面、消防団員同士の助け合いなど、お互いさまの精神も学んだ、と語った。
被災しながら、彼らのように、ふるさとの復興のためにボランティア活動をした学生たちは、今回の地震では非常に多い。地元の高校生たちが避難所で働く姿も多く見られた。彼らの姿や発する教訓は、今後の災害に大いに参考となるだろう。
被災地の厳しい現状が語られた鼎談に続き、活動報告会「ボランティア参加者によるプレゼンテーション&パネルディスカッション」。東京都新宿区に高層キャンパスがある工学院大学からは、大学院工学研究科修士課程1年の新田龍宏さんと同大建築学部4年吉澤真純さんが宮城県気仙沼市の避難所で行った活動を紹介した。建築の専門家とあって、避難所支援も段ボールで本棚などの家具を作ったり、勉強スペースを確保したり、クローゼットを作ったりした。本来の目的であった段ボールによるシェルターは今ひとつ上手く行かなかった、という。
兵庫県立舞子高校環境防災科3年児玉優衣さん、2年岡野優希さんが、5月7日から6月3日にかけて1週間ずつ4階回に分けて宮城県東松山市で泥かきや避難所でのお世話、被災地見学をした経験を話した。「被災した人から『高校生が来られるようになったのね』と言われた。時間がたてば、私たちでもお役に立てるのだと思いました。被災地の実際を見て、テレビを見るだけではわからないことを教えられました」と岡野さんは健気に話した。
神戸学院大からは、総合リハビリテーション学部3年盛岡俊介さんは宮城県名取市や石巻市で活動したことを報告するとともに、被災した人たちと手紙のやり取りをしていることを紹介。防災・貢献ユニット3年、柳川瀬佳奈さんも名取市、石巻市の避難所で被災した人たちの足や手をマッサージしながら話を聞く「足湯」ボランティアをしたことを報告。「足湯は初めてで、少し緊張しましたが、被災した人たちの生の声が聞けました」と感想を話した。
同大ボランティア活動基金VAFの総合リハビリテーション学部3年大西真理絵さんと同、法学部2年松居康裕さんは、3月14日からJR明石駅などの街頭に立って募金活動を実施し、6月20日現在、403万1845円の募金を集めたことなどを報告。「現地に行けない人たちの気持ちを伝えたかった」と話した。
この後、神戸学院大学大学院人間文化研究科修士課程2年濱田真由美さんがコーディネーターを務めて、パネルディスカッションが行われた。①現地に行くことの大切さ。現場の臭いや雰囲気を感じ取ることが出来る②被災した人たちの復興の道のりは長い。長く長くつながっていくことの重要性③被災地に行きたくても行けない人たちも、募金をしたり手紙を書いたり、水に浸かった思い出の写真を再生させたりするなど、多く出来ることはある④被災地に行ったことを家族や友達に積極的に話し、被災地の現実を伝えることが大切--などを話し合った。
16年前の阪神・淡路大震災では、全国から延べ250万人のボランティアが駆け付けたと言われるが、今回の東日本大震災ではまだ、その10分の1程度だと言われている。こうした「熱い心と優しい気持ち」を持った学生たちが多いのになぜ?と首をかしげざるを得ない。多分、国や被災県が発生当初、ボランティアの受け入れ体制が整わないことを理由に県外ボランティアを断ったことや、東京電力の福島第一原子力発電所の大事故の影響も否めないだろう。それにもかかわらず、ボランティアバスを積極的に出してきた、神戸学院大や工学院大、舞子高校などの取り組みはもっと評価されていい、と痛感した。さらに、たとえ「初動」が遅れたとしても、ボランティアの力はまだまだ、いや、これからこそ、多くの手が必要だ。こうした学生たちの報告に耳を傾け、長いスパンで進む復興への道のりの中で、私たちひとり一人が何が出来るか、自問したい。
社会貢献学会広報委員長 安富 信