2012年6月実施 東日本大震災 災害支援ボランティアバスの報告

2012年6月ボランティアバス参加レポート
社会貢献学会学生会員・神戸学院大学2回生 髙﨑百加

社会貢献学会では、6月22日から25日まで東日本大震災の被災地である宮城県石巻市雄勝町にボランティアバスを出しました。参加者は大学生は神戸学院、大阪経済大学、浜松大学から14人、社会貢献学会会員として大学教員やボランティアグループなど普段はそれぞれのフィールドで活躍している社会人5人の計19人が参加しました。

今回社会貢献学会がボランティアバスを出した雄勝町は、リアス式海岸線の絶景が広がり、天然記念物の八景島、そして牡蠣やワカメの養殖が盛んな海辺の町です。また雄勝硯も有名で、震災前は日本一の生産量でした。
震災後、約4500人いた人口は約3000人流出し1500人程度になりました。小学校が壊滅的な被害を受けつぶれてしまったため、子供がいる家庭は隣町へ移住し、高齢・過疎化が進行。町の9割が流され、水浜地区は120軒から10軒、立浜地区は45軒から5軒に減少しました。町の医療を担っていた石巻市立雄勝病院で、医師などスタッフと患者の計9割が津波の犠牲となり、町は無医地区となってしまいました。そこで国内外の自然災害被災地で救援活動を経験した小倉健一郎医師が神戸から宮城へ移住し、雄勝診療所を開設。午前は診療所で診察をし、午後は往診や訪問診療をされています。
小倉先生と社会貢献学会の前林清和(神戸学院大学教授)、高田孝充(学会理事)が青年海外協力隊や国際緊急援助隊の関係でつながっており、雄勝の現状を報道もされず、復旧・復興がまるで進んでいない、ボランティアも少ないと聞きました。このことが契機となり、社会貢献学会では継続的に雄勝町を支援していくことを決めました。今回のバスがその第一回目であり、今後毎月一回ボランティアバスを出し、住民の方のニーズに応えた支援をしていく予定です。

22日16時から神戸学院大学ポートアイランドキャンパスで事前研修会が行われ、神戸・大阪組の参加者16人が、前林教授から活動の心構えなどを聞きました。また班を作って、班のリーダーがメンバーを紹介する他己紹介をし、チーム作りを行いました。
18時半にバスは出発し、途中SAにて2.3時間おきに休憩をはさみながら、新東名浜松SAにて浜松大学の学生3人が乗車。23日8時には仙台駅東口に到着し、リーダーの澤山が乗車した後、石巻市雄勝町を訪れました。

水浜地区の旧水浜保育所(宿舎)に到着し、浜松大の学生を含めて改めて自己紹介を行い昼食をとりました。自治会長の秋山さんに挨拶し、一行は土嚢作りのため山へ移動。ここではお墓の上に沢が流れているが、大雨の時にはお墓の通路がえぐられてしまう。雨が降っても水が溢れないように土嚢を積む等の手当てをする通路の補修を行いました。メンバーは慣れない土嚢作りに最初は戸惑いながらも、住民の方に教えてもらいながら徐々に感覚をつかんでいきました。スコップで通路を掘り、土を土嚢袋にいれて運び積んでいく。通路には石が多いため、大きな石だと周辺を掘って動かし、固まりになっている土をほぐし袋へ入れる作業を繰り返しました。また住民の方がチェーンソーで林の木を切っており、その際は何に使うか分からなかったのですが、後に通路を固定する柱にする工夫にメンバーは驚いていました。住民の方々は幼い頃からの幼馴染のため、息のあった呼吸で行動していました。前日に会ったばかりのメンバー同士もコミュニケーションをとって、声を掛け合いながら、住民の方とも協力して作業は順調に進みました。
次に宿舎である保育所に戻り、保育所周辺の水路にたまった泥かきをしました。

冒頭にもありましたが、このような作業を行うには雄勝町では人口が減少し、高齢化も進んでいるため、人手が足りません。復旧・復興が進まない上に水害などの自然災害で環境が悪化しています。復旧・復興の逆をたどっているのです。災害が起きた状況だと、次の災害に弱くなり、通常だと影響が出ないような範囲にも影響が出るということです。初日の活動では、住民の方が住みやすい環境を整える「生活支援」をすることができました。
その後、OH!ガッツ事務所にてシャワーを浴びさせて頂き、夕食は水浜のご婦人方がカレーライスをふるまって下さりました。カレーはとてもおいしく、最高で3杯おかわりする学生もいて、ご婦人方とお話しながら楽しい時間を過ごすことができました。また、住民の漁師の方が獲れたてのホタテを下さり、刺身にして新鮮なホタテも頂けました。
この後の振り返りでは班ごとに行い、発表をしました。振り返りでは、「手があいている人がいたので、役割分担をはっきりさせるといい」「何をしたらいいのか分からなかったり、動きが分からなかったりした」などという反省点や「想像以上にやりがいがあった」「住民の方に感謝をされて、やったことを形に残せてよかった」などという良い点があげられました。意見の交換は活発に行われ、予定していた時間を過ぎながらも、メンバー全員が翌日の活動に活かせることは活かしていこうと真剣に話し合いました。

2日目の活動は立浜地区。バスにて移動途中に雄勝病院の前で下車し、津波で犠牲となった方々に全員で黙とうをしました。
それから雄勝診療所にもよって、診療所内を見学。小倉先生より診療所の説明がありました。先生は「住民の方が集まりやすい場所にしたい」と語っていました。診療所内はキルトで作った寄せ書きやお花がかざっており、とても温かい雰囲気でした。「調子はどうですか?」を「調子なじょでがすや?」という雄勝の方言と先生の似顔絵が書いてあるのぼりがあったり、南三陸の木材を使用したベンチが作られていることも印象的でした。
立浜地区に到着後、津波で被害を受けた水路にたまった土砂を出す作業が始まりました。まず水路のふたがコンクリートのため重く大きく、はずす作業が大変でした。それからは土砂をスコップで作業用一輪車に出し、土砂を指定された場所へ運ぶ作業を繰り返しました。土砂が少なくなってくると水が流れるようになり、ウナギの稚魚やサワガニが流れてきて、自然豊かな土地であることを作業中に改めて実感し、メンバーも笑顔になりました。土砂を出す作業が終わると、水路にふたをする作業もまた困難なものでした。男性メンバーがその作業をしている中、女性メンバーは周辺の草とりをするなど、各自ができることを分担してできたと思います。漁業協同組合の末永さんより飲み物の差し入れがあり、昼食をその場でとりました。

午後からは民家の周辺にある側溝にたまった土を出す作業を始めました。側溝が細く長いため、小さなスコップやほうきで土を作業用一輪車に出して運ぶ作業を繰り返しました。休憩中、住民の方が手作りそばを振る舞っていただき、全員で美味しく頂きました。その後も、側溝の土出し作業が続き作業が終了すると住民の方に「私一人だとまるで進まなくて困っていた。ありがとう、ここまで綺麗にしてくれて嬉しい。皆さんを待っていました」と感謝の言葉を言われ、やりがいを感じました。次に、海辺で養殖に使用する石を拾って集めました。このように、住民の方の生活基盤を作るための産業復旧に携われたことに、大きな意義を感じ、多様化する支援のあり方について考えさせられました。

全体作業の振り返りは診療所にて行われました。振り返りでは「前日の反省点を活かすことができた」「これから継続的に雄勝に支援をする第一回目のボランティアとしては、順調なスタートだった」という意見がありました。中でも印象的だったのは「僕たちは本当は出会わなかった方がよかった。震災が起きなければ出会わなかったのだから。でもこうしてボランティアとして出会った。出会ったからには、これから自分たち自身がボランティアを続けていき周囲の人に今回の経験などを伝えていくこと。そして個人、個人のつながりを活かしてボランティアをしていく必要がある」という意見でした。今後もボランティアを続けていくこと、今回の経験を活かし伝えていくことを再認識できました。最後に小倉先生からお話を聞く機会がありました。小倉先生から雄勝の復興計画が進まないのは、雄勝で生活する場が限られているため、開発が難しく住民合意がとれないと説明がありました。住民の方の収入源は漁業が主だが、養殖であるため、収入が1年後になってしまって時間がかかるのが厳しいとのお話もありました。学生が「私たちが地元に帰ってできることは何ですか?」との質問をすると、「忘れないでほしい。忘れないというのは単純なことに思うかもしれないが、大切なこと。忘れずに伝えて言って、災害を風化させないでほしい」と話されました。被災地での経験は、現地へ行かないと分かりません。その現地で見たことや聞いたことを発信し続けるのは、現地へ行った人間としての役目だと感じました。簡単なことに感じるかもしれませんが、伝えられる人が伝えることは非常に大事です。雄勝という地域があること、支援が行き届かず復旧・復興が進まない現状。今後、このようなことを積極的に発信していこうと身が引きしまる思いでした。
小倉先生と別れ雄勝を出発し、石巻市内の銭湯にてゆっくり入浴して休むことができました。その後、澤山リーダーが下車し途中SAにて休憩をはさみながら帰路へ。途中の浜松SAで浜松大の3人のメンバーとお別れしたのですが、名残惜しく何度も記念撮影をしたり握手をしたりしていました。そして25日の8時半には神戸学院大に到着しました。
堀越京子(社会貢献学会)による事後研修会では、ストレッチ体操を行って心身のケアをし、メンバー全員が活動の感想を発表しました。発表では「1年経っても泥かきが必要な現状に驚いた。ボランティアの必要性を感じた」「初めて会ったメンバーと協力してできたということがいい結果につながった。今回の経験を周囲に発信してボランティアの輪を広げたい」という感想がありました。今後も継続的にボランティア活動をしていき、今回の経験を発信するということでまとまりました。
(社会貢献学会学生会員・神戸学院大学2回生 髙﨑百加)