東日本大震災災害支援ボランティア活動報告
(2012年10月5日 ~ 2012年10月8日) 社会貢献学会 塩田達史
社会貢献学会は10月5日(金)~10月8日(月)の3泊4日(車中2泊)の日程で東日本大震災支援ボランティアバスの運行を行った。今回の参加メンバーは、神戸学院大学、大阪経済大学、大阪産業大学、松蔭女子大学の計10名の学生と、防災士、看護師、大学教員、講師からなる社会貢献学会会員の計12名、総計22名であった。
石巻市雄勝町には、社会貢献学会として、2012年6月に水浜地区、立浜地区に1回目復興ボランティア活動から継続して毎月訪問することとしており、4回目の訪問となりました。
5日 16時より、神戸学院大学ポートアイランドキャンパスにて、前林清和教授より事前研修を受け、17時よりスコップ、鎌、箒、軍手など、現地での作業用道具をバスに積み込み、石巻市に向かって17時30分に出発しました。
翌6日6時40分に仙台駅に到着し、学会員乗車、朝食予定の上品の郷にて朝食をとり、昼食の弁当を購入。水浜地区会秋山会長との約束により上品の郷出発時電話連絡をして作業場所とバスの停車場所の打ち合わせを行う。
1日目は、保育園の高台から海、旧住宅街に降りて行く坂道の途中にある、山の斜面に津波で運ばれたものが気に引っかかっていたり、土砂に埋もれたりしているものを撤去し、仮置き場として橋桁の下草刈りをした場所に置く。橋は国が架けたので、その下は国有地で、津波で流された瓦礫置き場にしても良いとの判断である。
高い場所では斜面の6~7mぐらいの処迄物があり、自転車、丸太7~8m、看板、木枠、洗濯機、などを確認作業前に安全作業について打合せを行う。危険な作業、無理な作業はしない、複数で重いものを持つ時にはお互いが声を掛け合う、草刈り機の使用中は周りに声かけをするので近付かない、高いところは複数で作業をする。
安全作業についての打合せ後全員思い思いの持ち場に就いて作業開始。
10時頃水浜の人たちは隣町で会合のため出かけ、我々だけの作業になり安全にはとくに注意をした。
最初は、目に就いた大きな丸太家屋の梁の様な物を運んだ。
置くときは皆で声を掛け合ってゆっくりとおろした。洗濯機、自転車、看板、次々大物が運ばれて山の様になっていった。
土砂の中に埋もれていたり、雑草の中からここで生活が行われていたことがわかる、お茶碗、コップ、衣類、ぬいぐるみ、小学校の卒業文集などが次々と出てきた。
文集をみつけた学生は持ち主の子どもに還るようにと秋山会長に渡してあげたいと、きれいに拭いて保管をした。
2回の休憩を挟んで、午前中の作業を終了。昼食場所の元保育所に徒歩で向かう。今までに経験のない作業を経験したので、歩く後ろ姿が皆少し疲れを感じた。
元保育所に就くと、八ヶ岳ボランティアチームが車に荷物を積んでいた。待っている間に学生4人で宿泊先へお茶をもらいに行く(昼食用にお茶をいただけました。有難うございます)魔法瓶2本に温かいお茶が一杯、皆温かいお茶を頂きながら気持ちよく食事ができた。
この神社は高台に在るのですが、津波が境内まで上がってきたそうです。雄勝地区は神楽が有名で下の写真の右側に舞台が在ります。子どもたちが待っていたそうですが、今は舞う子どもたちが居ないそうだ。
昼から最初の休憩を秋山会長の誘いで神社の境内ですることになった。 缶ジュースをご馳走になった。
休憩が終わり、女子学生は神社の境内で草むしりと掃除をしていただくため、このまま残っていただき、男性は元気が付くと瓦礫が山のように積まれ道路に面した山の斜面には何もなく、元はこうではなかった、そう思うほどすっきりしていた。最後に道路に落ちている草、塵を拾い箒で掃いてここの作業を終了する。
男性達は作業に集中して良く頑張ってくれ、16時前に作業が終了したので、宿泊先に先に還ってもらうことにした。女性チームを迎えに行くと、最後の階段の下を掃いていたので、塵取りでお手伝い間もなく作業終了。地元の人に全員で挨拶をして宿泊先に向かう、海のそばの道路を歩いて帰った。海は鏡の様に穏やかでした。
全員入浴を済ませ、18時から食事の前に1日目の振り返りを班毎に行う。
作業中の休憩が少なかった。との意見があった。瓦礫の中から生活用品がたくさん出てきた事に、皆の意見として風化させないために、地元に帰ったら友達や親族に体験した事を伝えたい。振り返りも終わり、町に待った食事です。漁港ならではの魚料理でした。全員が新鮮な魚介類の美味しさに感動。作業の疲れも癒されたようでした。
2日目は旧石巻市雄勝支所付近での硯組合の作業である。
担当の高橋氏は京都に出張中のため、雄勝復興応援隊の女性に本日の作業場所の案内と説明を受ける。作業場所は2か所であった。
1か所は石巻市雄勝支所の前庭入口にある、門形ゲートに張ってある雄勝医師(玄昌石)、学術名黒石硬質粘版岩(光や水、熱にも耐えるため、天然のスレートとして改装した東京駅の屋根にも使用された)で作られた天然スレートを剥がし他に流用、再加工したいので丁寧に剥がすように説明を受ける。作業場所をもう一か所案内された。
旧雄勝支所の外側にある駐車場の草むしりで、面積は1200㎡ほどあり、ここは旧住宅地で家の基礎が数ブロック残ったままである。作業は2班に分かれて行うことにした。
雄勝石を剥がすのは、男性が4人居るD班が作業を担当、草むしりはA,B,C班で旧住宅区画別に担当した。
壁面から雄勝石を剥がすのに最初は試行錯誤しながら大変苦労をしたが、和泉社会貢献学会会員が、早く奇麗に剥がす方法を考案し、D班全員に伝授すると倍以上の早さで作業が進んでいった。
草むしりは面積が広く沢山生えており塵集積場まで70m位在るのでビニール製塵袋が一杯になればその場に放置、次の塵袋に詰めてもらうことにし、放置された塵袋をリーダーが回収集積場所まで運ぶことにした。
11時30分より旧石巻市雄勝町支所広場で山形県青年商工会ボランティアの炊き出しで芋煮込み汁がふるまわれるので、地元の人達と一緒にと誘って頂き11時30分に午前の作業を終了する。
地元の人達が並び終えた後我々チームも並び米沢牛居も煮込み汁を頂く、山形名産米沢牛入り芋煮込み汁はさすがにおいしく、ほとんどの人達は2敗ご馳走になり最後にはカレー入りで3杯目を進めて頂き、カレー入りも頂き本場の味に感動と感謝でした。
神戸出身の小倉医師も医院の方たちと近くのテーブルで頂いておられたので、ごあいさつだけさせていただいた。昨日も、神社と瓦礫撤去の作業場所に陣中見舞いに来ていただき、遠い地での活動も毎回心強く感じます。
芋煮込み炊き出しも終わり、片付けに入ったので山形青年商工会代表者に交流会に参加をお願いしました。
快く引き受けて頂き、代表者の参加、水浜地区伊藤副会長、硯商工会高橋氏お母様も参加して頂き、3月11日の状況を聞かせて頂いた。
水浜地区元保育所に250名も避難していたという話、海岸淵より山の谷間奥の人達の被害が多かったこと、高台に逃げたが、1波が引いてその後家に物を取りに還った者が全員犠牲者になってしまった。何度も避難訓練をして、忠実に訓練を活かしたから助かったと云う高橋さんの貴重な話であった。
伊藤副会長とは、3度ご一緒したが作業の打合せだけで今回の様なお話は初めてであった。
自宅の高台に在るが、1階部分は水の被害にあったが幸いに2階部分に大量の食糧の備蓄をしていたので元保育所の250人の避難者の食糧のお役に立ち、今もあの時の肉の味が忘れられないと感謝されるそうです。
山形商工会代表の方は山間部にお住まいで被害に遭わなかったので、代表者の方が全戸pくの仲間に連絡して食糧を調達、九州からは大量のお米が送られて来たそうです。
調達した食糧をトラックに積み新潟から陸前高田に入り、雄勝に入ったそうです。
それから毎日炊き出しに訪問、雄勝の海産物を持ち帰り販売し、お米、野菜を雄勝に持ってきているそうだ。1時間ほどの交流会も終わり、昼からの作業に入る。雄勝石を剥がす作業は午前中で終わったので、硯組合の担当者に作業終了確認の立会の依頼のため事務所に行くと、夜までかかってもできないと思っていたのが午前中に奇麗に完了してしまったので関心と驚きでした。
D班も草むしりに参加、A班の担当の場所に山から下りてこられた。農作業の姿をされた地元の方が話掛けてこられて、その方の住居だったそうで住んでいないところの草むしりをしているのに大変感謝して立ち去られた。
小倉医師より、作業終了後時間があれば診療所に招待されていたので、草むしりも終了したので硯組合の担当者に草むしりをした駐車場で立ち会ってもらい、15時過ぎ作業終了。雄勝支所の前で記念写真を撮りたいと、組合の担当者より話があり、全員雄勝支所の前に並んで写真をとる。バスも迎えに来て待っていたので、乗車後雄勝診療所に向けて出発。
小倉医師が雄勝診療所の前で出迎えてくれ、前の小さな広場にバスを入れる。大した運転技術と関心した。全員診療所の中に入り設備の説明を受けた。パッチワークや寄せ書きが壁に多数はられていた。外国人のも沢山あり、小倉医師のご活躍がよくわかりました。最後に全員で診療所の前で記念撮影をした。バスに乗車後運転手さんと相談し、大川小学校によることにした。還り道北上川に突き当たり左折。100mほどの所に在った。
この小学校は、北上川の傍にあり、避難の方法を町が居児童全員が亡くなられました。
全員バスから降りて、碑に向かって手を合わせてご冥福を祈りバスの運転手さんが用意して下さった線香を順に供えさせて頂きました。
社会貢献学会の行動を見ていたここを守られている地元の語り部の方が、我々に御礼を言われ、このような礼を持ってお参りしてくれる人達は居ないと感謝されました。御礼にと津波前と今のこと、どのような状態で避難に失敗したかを語ってくれた。
神戸に翌朝8時30分に神戸学院大学に到着、前林教授の指導で体操と4日間の振り返りを行い、今回のボランティアチーム解散。チームの皆様お疲れさまでした、ありがとうございます。