2013年11月実施 東日本大震災 被災住民交流ボランティアバスの報告

社会貢献学会では、東日本大震災に対する取り組みの一環として、
被災住民交流ボランティアバスを実施しました。

被災住民交流ボランティア活動学生報告

代表 藤原麗生

今回雄勝町のボランティア聞いた震災の話の中で一番、考えさせられた話をここで紹介させていただく。
元々雄勝町の震災前は、約4000人以上住んでいた町だったが震災後は、雄勝にある約20集落の内15集落は津波によって壊滅的な被害を受け、今では集落は半分ぐらいしかなく、人数も約1000人に減ってしまったという現状である。もともと養殖業が盛んな街だったが津波の被害によってほとんどの養殖産業が破壊されたが、今では少しずつ普及している。しかし、もともと震災前も高齢社会で衰退してきている町だったが、震災後急速な住民の減少により、震災前よりも町や人の衰退が急速に始まっているのが現状である。震災当時の名振地区では、ライフラインは寸断され、道路も寸断され孤立した状態が5日間ほど続き、漁師たちが救援物資を届けてもらうために、船で助けを求めに反対側の漁港までいったことで、自衛隊の人たちに発見されたことがきっかけで、雄勝町の被災状況を行政が知ったそうだ。発見されるまでの期間中は住民たちであらかじめ決めていた避難所に避難し、そこに約180人が避難所生活を送っていたそうだ。その間は、町内会長さんを筆頭に住民たちで支えあい、様々なものを持ち寄って協力してきたそうだ。比較的名振地区はほかの地区よりも地域コミュニティーがしっかり成り立っていたためだけに、震災後も住民たちで協力して困難を乗り越えてきたが、ほかの地区では同じように地域コミュニティーがしっかりしているわけではなく、現に震災後コミュニティーが壊れてしまい、なくなってしまった集落はたくさんあるそうだ。今では、来年に完成予定の復興住宅に引っ越すまで、仮設住宅での生活を日々送っているけれど、一番心配なのが復興住宅に移り変わった時である。今徐々に作られているコミュニティーをまた作ら直さないといけないのではないだろうか。その際に、様々な問題が出てくると考える。この話を通して考えるのは、震災前からしっかりと地域のコミュニティーが構築されていたら、天災が突然起きたとしても、普段のコミュニティーが最大限に生かされ、人的被害も最小限に抑えることができる。しかし、せっかくできたコミュニティーの場をなくしているのは行政側ではないだろうか。もう少し行政側も地域に寄り添いその地域の特徴に気づき、それに基づいて復興計画書を作成するべきだと考える。私は、この活動を通して、もっと多くの人たちに東北の現状を伝えていくことが大切だと再確認ができ、今度の活動に生かしていくつもりである。

活動メンバー 高井 涼

・支援の格差(行政)
雄勝に最初に来て感じたことは、「街の復興が進んでいない」ということである。道路は凹凸が激しく、防波堤は手つかずのまま砂袋が並べられており、かつて店舗や民家があったであろう場所は空き地のまま雑草が生い茂っている状態だ。雄勝町は、震災前に石巻市との合併し「石巻市雄勝町」となった。しかし、同じ石巻市内の蛇田地区などは、津波の被害があったにもかかわらず、商業施設や住宅が立ち並んでおり、雄勝との復興の格差を感じた。蛇田地区は県内第二の都市の中心部であり、雄勝は過疎化が進む漁村であるので、蛇田地区にお金をかける理由もわからなくはないが、このまま雄勝を放置しておくと、過疎化が加速し、衰退・廃村につながりかねない。また、ある被災者が「東京オリンピックも楽天の優勝も、被災地の復興の光とメディアは取り上げたが、東京や仙台だけで盛り上がっていて他人事のように感じる。そこにお金を回すくらいなら、雄勝をはじめ復興の進んでいない地域にお金を回してほしい。」とおっしゃっており、本当に支援の必要な地域こそ支援は回ってこないことを感じた。

・支援の格差(ボランティア)
ある被災者は「今回、足湯があることを知らなかった。仮設のほうでは張り紙などで情報を得ることができるが、私たちのように仮設に住んでいない人たちは情報が回ってこない。同じように被災しているのだから、仮設以外の人にも情報を回してほしい。」とおっしゃっていた。これは、私たち以外のボランティアにも当てはまるようだ。同じように被災していても、仮設に住んでいる人に目が行きがちだが、仮設以外にも、つらい思いをされて支援を必要としている人がいることを、忘れてはいけないと感じ、今後のボランティア活動における広報の在り方が問われる一言であった。

・漁業
雄勝ではホタテ、牡蠣、ワカメ、とろろ昆布、いくら。東松島では海苔など、新鮮で美味しい海産物をたくさん頂いてきた。これらを、上手くマーケティングしていくことができれば、地域の復興に繋がるのだが、それ以前の問題に直面していることを感じた。それは、「後継者問題」である。雄勝は被災前から、人口の流出(特に若年層)が激しかったようだが、被災が拍車をかけてしまった。今後、雄勝をはじめとした被災地の各地域には、人材(特に若手)が必要であると感じた。ボランティアも人材の派遣ではあるものの、長期的な目線で考えると、後継者の募集などをしてみるのもよいかもしれない。また、東松島の海苔工場は、3年は国の支援が入るものの、以降の赤字は自己負担であることを聞き、近い将来、廃業を余儀なくされる企業も現れてくると思います。いつまでも支援をするわけにもいかないが、被災地の水産業の衰退の危機を思い知った。

・感想
今回、雄勝に行かせていただいて、被災地が現在抱える課題から、日常的に当たり前となってしまっていることに対する感謝の気持ちまで、様々なことを学んだ。今後も、継続的に支援を続けていくことが今の私たちにできることである。また、被災地の人が口をそろえて言うのが「風化が怖い」「忘れられるのではないか」といったことである。今回をはじめとした東北のボランティアの経験を伝えていくこと、被災地の情報を発信していくことも私たちにできることなのではないかと思った。自分一人の活動は、被災地にとってはちっぽけなものかもしれないが、今後も継続的に支援を続けていきたいと思う。

活動メンバー 寺澤 秀樹

今回東北に行ってわかったことは、震災が起きてもう2年たつが復興できているのは主要都市だけで雄勝や月島のほうは支援が行き届いていないということだ。実際に私たちは東北の支援ということで募金活動などを街中で見かけては金銭的支援をしたと思うが、それが東北地方のどこの資金として使われるまでは考えてないのが現状だ。毎日雄勝や月島の人たちは一生懸命働いている、その活動資金は政府ではなく自分たちで賄っているのだ。政府からお金が出ないというわけではないが、政府から出たお金はその村や町の借金としてかせられるのだ。これは実におかしな話だ。主要都市が終われば支援は終わるということは、大きな間違いである。問題点は「もう大丈夫だろう」などの当てのない考えだ。被災地の人の多くが語った、「まさかここまでくるとわ」、「~なわけがない」だ。本人たちも語っていたこの台詞は、当てのない先入観の結果こうなったということなのだろう。 それを私たちが意識して直さないことにはまた同じことが繰り返される。いつ地震が起きてもおかしくない、それはご飯を食べている時、家族と出かけている時、彼女と一緒に居る時など関係なく。これを意識づけるためにはよりたくさんの回数を重ねた災害トレーニングが必要だと思う。それは各自治体が行っている防災訓練や防災活動に関するものであれば何でもよい。それに参加することで今よりかは災害に対しての意識が変わるだろう。 私たちの防災に対しての意識が変わらなければ世界は変わることはできない。この先何が起こるかわからない世の中で動かずに立ち止まっているよりかは、少しでも前に進むことが大事だ。もう見て見ぬふり、関係ないは終わりにしないか。この東北ボランティアに参加して深く反省するとともにこの経験を生かしていきたい。

活動メンバー 川口 颯

今回私は主に雄勝を拠点とした足湯メインのボランティアに参加させて頂いた。良かった点、反省すべき点、初めて知ることができた事実など多くのことを発見することができ、濃い活動をすることができた。 まずはメインの活動である足湯について述べようと思う。今回私は、初めて足湯のボランティアをした。初め紙などの説明をよんで、先輩たちが実際に活動している姿を参考にし、実践してみた訳であるが、何より苦労したのは足湯をしながら、被災者の方々と会話をすることである。足湯を行う趣旨は被災者の方々と足湯を通して触れ合い、リラックスをしてもらうことであるが、私は先輩方と比べコミュニケーションが取れず、趣旨に沿った活動をすることができなかった。もっと自分がリラックスし、その場に居やすい環境作り、積極的に自分から声を掛けていかなければならないなと、感じた。また手や掌をマッサージするにあたって、なぜ健康に良いのかなど知識の面も調べ直す必要があると思った。驚いたことは私がお相手をした全ての方々が自ら震災のことを口にして話してくださったことだ。人それぞれ考え方は大きく異なるが、大変印象強かったのは、「天災を経験して人間いつ死んでもおかしくないと心から思うようになった。」である。テレビとかでたまに耳にする言葉ではあるが実際に津波により身内の方を亡くした方の言葉には、只ならぬ言葉の意味の重みがあった。「だから私は今を一生懸命に生き、震災により亡くなった方の分まで余生を楽しむ」のだと。今の私は一生懸命に生きているのだろうか。生きようとしているのだろうか、大変考えさせられた。  私が、1番このボランティアで印象強く残っているのは、雄勝の漁師さんの仕事を体験させて頂いたことだ。雄勝はホタテの養殖が盛んであり、深夜3時頃から朝方8時頃までにそのホタテの稚魚をトラックから下ろし船に乗せる作業、そしてそれを運び作業場まで移し、ホタテの耳に穴を空ける作業をした。単純な作業なのにも関わらず大変しんどく1日の作業で腰が痛くなり、漁師の凄さを改めて知った。この時期が1番大変らしく人手不足に悩まさられているのが現状である。震災の津波によって養殖していた海の中の砂と一緒にすべてホタテやワカメも流され、再開するのに大変時間と資金がかかり、漁師は海の近くに住むこともできなくなり大変厳しい状況下にあるのだ。私達はそこで養殖されたホタテを食べたのだが、まず大きさに驚いた。北海道のホタテより大きく兵庫の城崎のホタテよりも大きかった。生で食べさせて頂いたのだがこんな美味しいホタテを食べるのは、初めてである。震災から約3年。ゼロからのスタートなのにも関わらずここまで大きく美味しいホタテを作る漁師さんたちの根性、技術はプロだと感じた。しかし震災によって雄勝の住民も圧倒的に減り、その分漁師も減り、いつホタテの養殖ができなくなってもおかしくないのだ。 ここ雄勝は他の地域に比べて地域の仲間意識が強く、自分たちのことは自分たちで解決してきた。よって他の町などとほとんど関わりを持つことがなかった。そのこともあって被災後の支援は忘れられたかのように後回しにされ、大変他の地域に比べ苦労してきた。それでもこの地域を無くしてはダメだと、復興を今でも全力で取り組んでいる。ここで私が思ったのは、現地に行かなければ知れないこと、感じることができないことが大変多いということだ。復興状況はニュースやGoogleで調べることはできるが、実際に行って知った現状とは大きく違った。特に石巻市と雄勝を比べて復興状況にここまで差があるとは思ってもいなかった。まさに百閒は一見にしかず、である。そこで大事だと感じたのは、雄勝のことをもっと多くの人に知ってもらうことである。そのことによって興味やボランティアに行こうと思ってくれる人が増えるはずである。  今回のボランティアを通して多くのことを知れた分、多くの課題や問題が出てきた。1番の問題は今まで雄勝を潤してきた漁業の復興である。私がどう関わって行くべきなのかまだ答えは出せていないが、関わった以上しっかり向き合う義務があると思った。

活動メンバー 小林 拓史

今回のボランティアでは足湯と漁業のお手伝いを中心に活動させていただいた。東北の方々は被災されて様々な面で大変な思いをされているではないか思っていたが、初めて会う私たちに暖かく接していただき、逆に私たちの方が元気をもらったのではないかと思う。 漁業体験は初めてでしたが、少しでもお役に立てたのであればよかったのではないかと思う。漁業という職業が大変だということを自分の身を持って感じることができたのは大変良い経験になった。普段、魚を食べることはあっても、釣ったり取ったりすることはないので漁業を学ぶことができてよかった。しかし、雄勝では漁業の存続が危ういという問題も聞いた。雄勝では若者が都会へと出ていくために漁業を継ぐ後継者がいないという問題に直面している。漁業の町である雄勝から漁業がなくなることは避けなければ、町として大きな痛手になることは間違いないのではないかと考える。このことから、課題を解決していかなくてはならないだろうか。そして、普段何気なく食べている魚に感謝の気持ちを込めていただくことが大事だということが再確認できた。自分の身を持って漁業が大変だということを経験したからこそ、感じたことなのではないかと考える。 足湯ボランティアでは被災地の方とコミュニケーションを取ることの重要性を学んだ。足湯をすることは大切ですが、足湯よりも話を聞いてあげることが大切だと思う。普段はご年配の方とお話しする機会があまりないので、今回足湯を通して年配の方々と様々なお話をすることは、自分にとってとても良い経験になった。足湯でお話をする中で、かしこまって話をするのではなく、普段何気なく話していることを話せば良いということも学ぶことができた。 今回のボランティアではボランティアを継続していくことの重要性を学んだ。継続的に同じ場所でボランティアをすることでお互いに信頼関係が生まれ、被災地の方々にも元気を与えられるのではないかと考える。漁業では人が足りないことからも、漁業のシーズンになればボランティアが必要になってくる。私はこれからも時間がある限り継続的な活動をしていこうと思う。