東日本大震災支援委員会 現地調査報告⑦ (2011年3月28日~30日)
最終回。30日は、駆け足ではあるが、宮城県気仙沼市から岩手県陸前高田市、大船渡市を現地調査し、津波地震災害の圧倒的な脅威を見せつけられた。
今回の調査はこれで一応終了となり、午後6時半発の飛行機に乗るために、いわて花巻空港に向かう。少し時間が余ったので、神戸学院大隊の3人に「寄り道」をお願いした。個人的なことで申し訳なかったが、2月に神戸の人と防災未来センターで行われた災害対策専門研修「図上訓練を用いた災害対策本部・広報コース」に参加され、知り合いになった岩手県花巻市の役重真喜子・総務課長のところに陣中見舞いに行くためだ。
花巻市は、沿岸部から80㌔以上も内陸に入った所にあるが、あの日、震度6弱の揺れを体験し、行方不明者1人、軽傷者17人、建物被害111件、公共施設の被害が146件あった。役重さんによると、市役所の庁舎のうち議場の被害が最もひどく、地震発生時たまたま市長をはじめ市幹部はこの議場に勢ぞろいし、会議をしていたという。天上が落ち、コンクリート壁が崩れて大騒ぎとなったが、発生2分後の午後2時48分には市災害対策本部を設置した。市役所は自家発電に切り替え、通電状態だったが、それも燃料が重油なので、2日間しか保たない。心配されたが、その間に電気が復旧したので、何とかなった、という。
このように、一番困ったのが、やはり燃料だった。花巻空港が機能していたのでDMAT(災害派遣専門医療チーム)の拠点となり、激震地から多くの患者が運ばれてきたが、空港から病院に向かう車のガソリンが足りない。それだけではなく、医療行為にあたる医師や看護師たちが病院に来るガソリンがない。市役所の車を回したり、市に備蓄していたわずかなガソリンを配るために証明書を発行したりした、という。口コミを聞いた人たちがどっと市役所に押し寄せる事態にもなった。
同市では訪れたちょうどその日から、大船渡、釜石市などからの避難者を花巻温泉のホテルや旅館に受け入れることにし、30日は200人が同温泉に入った。
役重課長は「避難所としてしっかり受け入れて行きますが、例えば、花巻市で、現地のり災証明を取るにはどうしたらいいか、転校手続きが出来るのかなど、今後、課題はたくさん出てきそうです。阪神・淡路大震災の時に経験された行政の方の知恵もお借りしたい」と話した。同チームでは早速、神戸市で復興対策にあたった経験者を紹介したが、こうした阪神大震災の知恵や教訓を伝えるのは、これからだ、と実感した。
わずか3日間の駆け足の現地調査だったが、様々な課題は見えてきた。もちろん、これから何度も被災地を訪れ、時間の経過とともに変わる現地のニーズや悩みに出来るだけ答え、一緒に考えていかなければならない。大型連休や夏休みでもよい、ぜひ若い人たちは被災地に足を運んでほしい。自分には何も出来ない、などと言わずに、被災の現状をしっかり自分の目で見て、被災した人たちの話を聞くだけでもいい。これからの日本を考えるうえで、自分の将来を見つめるうえでもきっと、役に立つと信じている。
(おわり 社会貢献学会広報委員長・安富信)