2013年7月実施 東日本大震災 災害支援ボランティアバスの報告

社会貢献学会では2013年7月12日から15日まで東日本大震災の被災地である宮城県石巻市雄勝町にボランティアバスを出しました。参加者は神戸学院、浜松大学などから大学生15人、神戸学院大学大学院生2人、社会貢献学会会員7人の計24人が参加しました。

社会貢献学会が雄勝町にボランティアバスを出し始めたのが、2012年6月。雄勝町への継続的な支援から約1年が経過し、ボランティアバスを出すのは今回で7回目となります。 これまでは立浜地区、水浜地区でのボランティア活動を重点的に行ってきましたが、2013年5月に行われた社会貢献学会による現地調査で、桑浜地区で公益社団法人sweet treat311が行っている桑浜小学校再生プロジェクトに賛同し、今回はプロジェクトを協同して行うことに決めました。この桑浜小学校は2001年に廃校となった築90年の施設です。東京駅舎の屋根材にも使われている雄勝石のスレート屋根の木造校舎は、大雨により土砂が入り込み老朽化が進んでいます。この校舎を地元の方や多くのボランティアと共に修復し、雄勝の子どもたちそして日本の子どもたちに新しい学び場を提供し「生きる力」を養い、復興の担い手となってもらい、雄勝内外の人たちが集まり地域コミュニティ再構築の実現を目指しています。以上の理由から再生プロジェクトが始動したそうです。

12日18時から神戸学院大学ポートアイランドキャンパスで事前研修会が行われ、神戸・大阪組の参加者18人が、社会貢献学会の前林清和(神戸学院大学教授)から活動の心構えなどを聞きました。またリーダーによる班づくりを行い、アイスブレイクを経ての2人一組で他己紹介をするなど、全体でのチーム作りを行いました。 19時にバスは出発し、途中SAにて2.3時間おきに休憩をはさみながら、新東名浜松SAにて浜松大学の学生3人が乗車。13日8時には仙台駅東口に到着し、現地メンバーが乗車。10時には石巻市雄勝町桑浜小学校を訪れました。

今回の桑浜小学校での再生プロジェクトは社会貢献学会だけでなく多種多様な他団体も参加しています。桑浜小学校到着後、他団体と合流し説明を受けた後、活動へ入りました。今回の再生プロジェクトは過去最多の参加人数を記録し、合計9団体、総勢約130人が参加しました。活動は6つのグループに分かれて行いました。将来的にお風呂が建設される場所の草刈りや教室内の土砂出しなどです。草刈りは草が長くて、根が深いものや絡まったものが多く、意外にも苦戦する場面がありました。捨てられた数個のタイヤの中に草が生えているものもあり、取り出す作業を協力して行いました。かごに集めた草を集積場所に運び、また草を刈る作業を繰り返して作業しました。所属も年齢などバックグラウンドが違う初対面の方々と、ボランティアに対する思いや他愛もない話をして連携して活動できたのが印象に残っています。土砂出しは体力的な作業で、土砂を出しては一輪車で運ぶ作業を繰り返しました。教室内の土砂出しは機械を入れて作業すればあっという間に終わる作業だそうです。ですが、あえて人の手による作業を続けています。草刈りも土砂出しも単なる草刈りや土砂出しではありません。そこは多くの住民の方々の思い出が詰まった大切な場所です。そこに私たちの思いものせて作業することに深い意義があります。人の手で作業をすることは時間と人手が多く必要ですが、それ以上の価値のあるものあると思いました。

初日の活動を終え、宿泊先である亀山旅館へ行きました。夕食後の振り替えりでは、一人ずつ活動で感じた思いなどを話しました。初めて被災地でのボランティア活動を行った人は、「想像以上に楽しく、このようなボランティアもあるのかと思った。様々な人と話せて勉強になった」と感想を述べていました。また何度も参加されている方は、今回は社会貢献学会として初めて他団体と共同で活動を行ったため、新鮮に感じた方が多かったようです。普段と違う活動で得ることも多かったと思います。一人ずつ時間をかけてゆっくりと、思い思いの感想を述べて、全員で感想を共有できました。そして多くの方と出会い、コミュニケーションをとりながら活動ができたことを、翌日のボランティアにも活かしていこうと話し合いました。

2日目の活動も、初日の活動の続きです。初日に知り合った方たちと大きな声で挨拶をしながら、合流しました。活動の前にラジオ体操をしましたが、このラジオ体操はなんと石巻弁のラジオ体操なのです。初めて聞く石巻弁でのラジオ体操の掛け声に、時折みんなで笑い合いながら和やかな雰囲気で活動へ入りました。昨日から続けている作業ですが、進行状況の速さに驚きました。人の力はすごいと改めて感じさせられる程、草が伸びっぱなしだった場所はきれいな土地に。土砂がたくさんあった場所は地面が見えるようになっていました。声を掛け合いながら、交代で各作業を変わりながら、スムーズに作業は続きました。それぞれの作業が完成に向けてどんどん近づいている光景が見え、感慨深い気持ちになりました。休憩時間に、桑浜小学校の元校長先生が来て下さり、桑浜小学校のお話を聞かせて下さいました。先生は当時のお話を聞かせて下さり、自分はこの桑浜小学校に勤めることができて本当に幸せだったと何度もおっしゃっていたのが印象的でした。先生のお話を聞くと、私たちがこの小学校の再生プロジェクトに少しでも協力できていることに喜びを感じ、より一層気持ちに気合いが入りました。その後の活動も順調に進み、時間が過ぎるのが本当に早く感じました。そして活動終了の時間を迎えました。活動が終了し、全員で集まって各グループの代表が作業の進行状況を報告しあいました。どのグループもそれぞれのチームワークで大きく活動が進んだようでした。その後、参加団体から一人ずつ挨拶をしましたが、みなさんまた雄勝町に来たいとおっしゃっていました。雄勝町は自然が豊かで、静かにしていると鳥のさえずりも聞こえます。空気も澄んでいて、海の幸も美味しいです。ここで出会ったみなさんと、また雄勝で出会えたらと。そしてそれぞれが帰っても、雄勝のことを周囲に話して、もっとボランティアの輪が広がればと思いを共有することができました。総勢約130人の大所帯でのボランティア活動でしたが、一体感がありみんながひとつになった瞬間でした。その後の昼食では、和気あいあいと所属を越えて一緒に食事をとり、楽しい時間を過ごすことができました。私たちも午後の被災地視察のために、桑浜小学校を出発する時間は近づく中、最後に素敵なものを見ることができました。THE DAYというプロジェクトで、この再生プロジェクトの様子を子どもたちが撮影した上映会があったのです。子どもたちそれぞれに個性があって、編集で重点を置いている場面も異なっていて、温かい気持ちになりました。子どもの視点での再生プロジェクトを見ることができ、新鮮でした。また撮影している子どもたちを撮影している様子もあって、充実した時間を過ごすことができました。

桑浜小学校で活動した仲間たちとの別れを惜しみつつ、私たちは東松島市野蒜地区に向かいました。野蒜地区は、海水浴場の野蒜海岸が有名で、夏は活気に満ちた地区だったようです。海岸の後背景には、以前は松林があり、乗馬クラブなどの観光施設や学校、住宅がある地区でした。しかし、震災による津波で、ほとんどの家屋が流され、犠牲者も数百人に上りました。津波は松林と家屋をすべて押し流しながら迫ってきて、野蒜地区は何もない状態になりました。そのような街の中をバスで走りながら私たちが向かったのは、「奥松島希望のあかり」のドームテントです。この希望のあかりは地域の住民の方々が立ち上げたトイレ付きのミニ商店街です。代表の方と奥様からお話を直接聞くことができました。野蒜の被災当時の話、そのあとの復旧・復興段階の話を、私たちに細かく説明して下さいました。ドームテントでトイレつきにこだわったのは、設立経緯にありました。震災後、多くの方がボランティアに来る中、トイレも寝る場所も提供できないのは申し訳ない気持ちでいっぱいだったと話して下さりました。だからせめてボランティアに、トイレを提供できたらとトイレ付きのドームテントを設立したそうです。そしてボランティアの来た人達に野蒜のことを知ってもらう機会を設けるため、テント内には被災当時の写真や状況が把握できる地図も展示してあります。私は日頃ボランティアをする立場として、私たちボランティアは多くの住民の方のご理解と支えによって成り立っているものだと改めて感じました。私たちボランティアは活かされているのだと。そして代表の方の「自分たちの街は自分たちが復旧・復興する」という強い意志に考えさせられました。これからの街づくりを住民の方が主体となって行動している様子に、わたしたちもできることはしていきたいと強く思いました。私たちにできることは、聞いた被災体験を周囲にも伝えていくことです。忘れないことです。住民の方からも忘れないでと言われました。この地区のことを少しでも多くの人に知ってもらうことが、私たちにできることです。年齢も所属も、住んでいる場所の違う私たちですが、だからこそ多くの人に伝えられると思います。

希望のあかりでの経験を終えたあと、銭湯に向かう車内で2日間の振り返りを行いました。「小学校の再生プロジェクトはやりがいがあって、喜んでもらえてよかった」「今回の 経験を活かしてボランティアの輪をひろげたい」「忘れない、風化させない、伝えることの大切さを感じた」「大学で行っているボランティアサークルに今回の経験を取り入れて活動していきたい」との感想がありました。2日間の活動を終えて、帰ってもできることをして活かしていきたいと語っている様子が印象的であり、それぞれがそのできることを見つけたようでした。

その後仙台市内の銭湯で入浴と食事休憩をとり、21時には仙台駅東口で現地メンバー下車。途中SAにて休憩をはさみながら帰路へ。15日早朝5時に新東名浜松SAにて浜松大学の学生が下車。2日間という短い日数でしたが、共に活動した仲間です。仙台駅に引き続きどんどんメンバーが下車して別れる様子は寂しかったです。 そして23日9時に神戸学院大学に到着しました。

事後研修会では、まずラジオ体操をして疲れた身体をほぐしてから、全員が今回のボランティアの感想を発表しました。再生プロジェクトについては「小さな子どもから大人まで幅広く参加していてよかった」「活動が大変活発にできた」「大きな声を出すことによって、一体感も生まれ、士気が上がると実感した」「確かに充実感はあったが、毎回行っている水浜・立浜地区には行くことに意味があると思う」「多くの人と活動して、意見交換ができてよかった」という感想でした。東松島市野蒜地区での視察と被災体験を聞いたことについては「生きていてよかったという声が生々しかった」「全国にも伝えたいと思った」「つらい中話して下さった意思を忘れたくない」という感想があり、全員で話して下さった方の思いを共有し、次へとつなげていくことでまとまりました。 最後に、筆者の個人的な感想ですが、筆者は神戸学院大学の防災・社会貢献ユニットという専門コースに所属しており、7期生です。今回雄勝町での再生プロジェクトの際に、筆者がユニット所属ということを知るとひとりの男性の方が話かけて下さいました。「私は能登半島地震の際に、ユニットの1期生と一緒に活動しました」と。石川県に向かうバスの運転手をして下さったようでした。能登半島地震の被災地で行った活動は足湯ボランティアだったそうで、これは東日本大震災や兵庫県佐用町でも活動を続けています。1期生の先輩から引き継いできた活動がこのような出会いを生んだことに感激しました。私たちはボランティアという共通したもので結ばれています。それが出会いを生み、そこで多くのことを学べたり自分が発信できたりもします。ボランティアでの出会いを大切にして、もっと広げていきたいと心から思いました。

(社会貢献学会学生会員・神戸学院大学3回生 髙﨑百加)